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2024年度企画展「『源氏物語』みやびの継承」

2024年度図書館企画展源氏物語ポスターのサムネイル

監修者ご挨拶

 2024年度企画展「『源氏物語』みやびの継承」オンライン版にアクセスいただき、まことにありがとうございます。本展示は2024年10月28日から11月8日にかけて、附属図書館本館で開催された同展のWeb公開バージョンとなります。折しも、2024年はNHK大河ドラマ『光る君へ』が好評を博し、このドラマを通じて『源氏物語』の作者・紫式部の人生とその時代に関心を持たれるようになった方が多くおられると聞きます。本学としてもこのような機会に、古典に関心を持たれる方々の期待に応えるべく本学が所蔵する『源氏物語』関係の貴重な古典資料の数々をご覧に入れようと本展示を企画いたしました。

 本学は国文、歴史にかかわる国宝2点を収蔵するほか、国内有数の古典籍の収蔵数を誇る狩野文庫を擁しており、今回の展示資料の多くがこの狩野文庫の所蔵であることは、狩野文庫コレクションの豊穣さを端的に物語るものでしょう。今回の展示では、『源氏物語』の写本はもとより、『源氏物語』を学問の対象として考証してきた古典注釈の世界にも触れていただこうと、本学が所蔵する古典資料の中からとくに代表的な『源氏物語』の古注釈書の数々を選んでご覧いただきます。なかでも江戸の牢屋奉行・石出常軒が著した『窺原抄(きげんしょう)』は、本学のみが全巻を所蔵する貴重な書物となります。そのほか、『源氏物語註』は三条西公条自筆の資料となりますので、室町時代の公家の営みに思いを馳せていただけることでしょう。

 そのほか、本展示では、『源氏物語』の影響を受けて作られた王朝物語の数々も同時に展示しております。本展示をとおして、『源氏物語』の〈みやび〉が長きにわたってさまざまに継承されていく様相を、感じとっていただけましたら幸いです。

 最後に、本企画展の開催に際しましてご後援をいただいたNHK仙台放送局、そして開催までご尽力いただいた本学附属図書館の職員の皆様には、この場を借りて心より感謝申し上げます。

横溝博先生

監修 横溝 博
(文学研究科教授)

第1部 源氏物語を支える和漢の書物

 『源氏物語』は当時存在していた和漢の様々な書物を参照して創作されています。それは『古今和歌集』や『和漢朗詠集』といった和歌や漢詩文のアンソロジーによるばかりでなく、『文選』や『白氏文集』といった漢詩文集にも直接に依拠しています。

 さらには、『類聚国史』に見られるような我が国の歴史を踏まえるばかりではなく、『史記』のような中国の歴史書に書かれている故事をも参照していることが明らかです。そこで、第1部では、『源氏物語』の成立を支えるこれら和漢の書物の中から、東北大学が所蔵する国宝2点をご覧に入れます。いずれも、平安時代に書写された貴重な古典籍で、『源氏物語』とも関係深い書物です。おそらく、紫式部は儒者であった父・藤原為時の薫陶を受け、また中宮彰子に出仕してからは、『和漢朗詠集』の作者・藤原公任ら、教養ある男性貴族官人たちと交流することによって、和漢の知識を得て、『源氏物語』の創作に活かしていったことでありましょう。これらの和漢の書物は、紫式部ばかりでなく、その周辺にいた人びとの教養の源でもありました。

 『源氏物語』が和漢の様々な書物の情報を吸収して出来上がった前代未聞の大作であるゆえんが、これらの書物を参照することで理解できてくるのです。

ルイジュコクシ

編年体で記された六国史の記事を、検索の便を図るため、事項によって分類・編集した書物。菅原道真(845–903)が、宇多天皇の命を受けて編纂し、寛平4年(892)に奏上したとされる。本来は本史200巻、目録2巻、帝王系図3巻であったとされるうち現存は62巻となっているが、その内容からは『日本後紀』の欠佚部分の復元や、『続日本紀』『日本三代実録』の記事の補充・訂正が可能となる。

東北大学附属図書館所蔵の巻二十五は帝王部第五にあたり、内容的には太上天皇(譲位した天皇)と追号天皇(死後に天皇号を贈られた者)に関する記事を収める。平安末期頃に書写されたものと見られ、現存する『類聚国史』写本の中でも最古本の一つである。昭和27年(1952)、『史記』孝文本紀巻十(阿8-2)とともに国宝指定された。狩野文庫に属する本巻は、本来は太政官の筆頭書記官の家柄である京都の壬生官務家・小槻氏に伝来したものであり、もと一具であったと目される四巻が加賀藩前田家・尊経閣文庫に所蔵、同じく国宝に指定されている。

参考文献:『日本古典文学大辞典』(岩波書店、1985年)、『東北大学の至宝―資料が語る1世紀』(東北大学編、2007年)

延久5年(1073)大江家国書写。   
祖本は唐から齎された写本(唐鈔本)と推測される本文。

宋版本に先行する劉宋裴駰集解本の原形をよく伝えているとされる、史記校勘学上の貴重資料である。また、古訓点資料としても高く評価される。訓点は家国点(1073)、家行点(1101)、時通点(1196・1202)と三段階あるが、家国点が基本となっており、紀伝道大江家の家学をよく伝える証本である。本文は異体字や踊り字などに唐鈔本の特徴が残っており、注記には当時大江家に秘蔵されていたと推測される佚書からの引用が見られる。紫式部が参照した史記も、時代的に言えば唐鈔本もしくはその写し(旧鈔本)と推定される。昭和27年(1952)11月22日、国宝に認定。僚巻として、巻九呂后本紀(毛利報公会蔵)、巻十一孝景本紀(大東急記念文庫蔵)がある。

参考文献:『国宝「史記」から漱石原稿まで―東北大学附属図書館の名品―』(磯部彰編、2003年)、『アジア遊学140 旧鈔本の世界』(勉誠出版、2011年)

コキンワカシュウ

最初の勅撰和歌集。四季と恋とを中心とした部立からなり、四季の移ろいや恋の経過など時間推移が辿られるように歌が配列される。『古今和歌集』で成立した歌ことばは王朝貴族の生活に浸透し、『源氏物語』をはじめ散文作品の形成にも大きく関与した。早くから尊重され、非常に多くの伝本が残るが、貞応2年(1223)に藤原定家による書写、校訂がなされた本文が最も流布している。南北朝期写とみられる本書も、貞応本の系統の一つとされる。

ワカンロウエイシュウ

漢詩文と和歌の佳句集。2巻。
著者は「三舟の才」で名高い藤原公任(966-1041)。寛弘から寛仁頃の成立と推定される。

本展示で紹介する下巻は雑部にあてられ、風や松、鶴、管絃、酒などの48の題目が立てられる。『源氏物語』は『和漢朗詠集』所載の詩句を多数引用しており、たとえば薫が月下に宇治の姉妹を垣間見る橋姫巻には、下巻「仏事」の『摩訶止観』の一節「月重山に隠れぬれば 扇を擎げて之に喩ふ」に基づく表現を見ることができる。

第2部 源氏物語の諸本と前期物語

 『源氏物語』が確実に書かれていたのは寛弘5年(1008)と言われています。『紫式部日記』によると、一条天皇への献上本のほか、まだ推敲中の原稿まであったことがわかります。しかし、それら紫式部自筆の『源氏物語』はおろか、平安時代の書写にかかる『源氏物語』写本はこんにち残っていません。

 『源氏物語』の写本は、現在三種類に大別されています。青表紙本、河内本、別本がそれです。いずれも13世紀以降の写本で、こんにち私たちが親しんでいる『源氏物語』の本文は青表紙本系統の本になります。第2部では、東北大学が所蔵する『源氏物語』の写本と、『源氏物語』以前に成立していた物語の写本・版本をご覧いただきます。昔の人びとが親しんだ『源氏物語』写本の優雅な雰囲気をお楽しみください。

 『伊勢物語』『竹取物語』『うつほ物語(資料名:宇京本物語)』は、平安前期を代表する物語で、『源氏物語』「絵合」巻のなかでは、絵画化された物語として登場し、「絵合」という競技において内容の良し悪しが、女房たちによって競い合われています。
さながらこんにちのビブリオバトルといった趣きですが、「絵合」の場面を鑑賞していただければと思います。

ゲンジモノガタリ

『源氏物語』の写本。54冊。
金蒔絵黒塗箱入。表紙中央に打雲紙に巻名を書いた題簽を貼る。

桐壺から空蝉までは朱によって他本との異同が傍記される。本文には所々、「上」「下」などと朱書きがあり、これは朗読の際の声の上下を表す記号かと思われるが不明。また、「細」「花」「哢」などの記号があり、先行注釈を踏まえた跡がみとめられる。「栄花」「論語」「長恨歌」といった出典注記もあるなど、講義で用いられた本であるかもしれない。

源氏物語 詳細

『源氏物語』の写本。54帖揃い。列帖装。

全帖、厚手の鳥の子紙が用いられ、表紙を緞子張にするなど、写本として格調の高い造本である。書写も流麗で見事な筆致である。江戸初期の写本とみてよいが、全帖にわたって注の書き込みや書き入れが多いのも本書の特徴。本書は当時のものと思われる杉材の保管箱に収納される。未調査の写本であり、今後の研究がまたれる興味深い一本である。

ゲンジモノガタリ

『源氏物語』の写本。20冊。

全54帖を数人で分担筆写したもので、附属する筆者鑑定書によると、知恩院宮良純親王(1604〜1669)以下10名の筆となる。ただ、その書写者たちは時代的に揃わないことから、本当の書写者は別人であろう。近世の写本と思われるが、『源氏物語』としてはやや小ぶりの写本であり、巻によって異なる筆遣いを楽しめばよいものである。なお、筆者鑑定書をしたためた前田香雪(1841〜1916)は、明治時代の美術鑑定家。

源氏物語(絵入本) 詳細

絵入り版本。60冊。
刊記によると、承応3年(1654)8月、京都寺町通の八尾勘兵衛の板行。

『源氏物語』五十四帖に加え、「源氏系図」や引歌表現の典拠を列挙する「源氏引哥」、古注釈に基づく概説といろは順の語注釈が載る「源氏目案 上・中・下」、さらに鎌倉時代に夢浮橋巻の続編として創作された『山路の露』を含む。巻の長さに応じて数丁分の無彩色の絵を伴う。それぞれの巻の題簽には、巻名の由来が「哥を名とせり」のように傍書されている。また、小型本も作成され流布した(次資料『源氏物語 並附録』)。

ゲンジモノガタリ

前資料 『源氏物語(絵入本)』の小型本。

イセモノガタリ

歌物語。2冊。

『伊勢物語』は江戸時代には多くの読者を得て、数多くの版本が出された。本書はその魁となる慶長13年(1608) 刊の嵯峨本『伊勢物語』である。48枚の整版挿絵が含まれた絵入り版本であり、江戸期における挿絵本の出版に大きな影響を与えた。嵯峨本とは16世紀末からの50年間に京都の嵯峨で活字印刷・出版された書物をいうが、嵯峨本『伊勢物語』はその最高傑作とされる。仮名をつなげた連綿の活字や色替わりの料紙にも工夫がみえる。

ウツボモノガタリ

作り物語。30冊。
源順 作者説はあるが、未詳。ただ、詩文や和歌の才に秀でた男性官人である可能性は高く、近年では複数作者説もある。成立は天元年間(978-983) 以後のほぼ10年間の内と推定される。

俊蔭巻と蔵開巻から楼の上巻までに展開する秘琴伝授の物語と、それ以外の巻で語られるあて宮求婚物語との二つのストーリーで構成される。現存する日本最古の長篇物語で、写実的で異常なほどの記録的な叙述に特色があり、『源氏物語』にも影響を与えた。

タケトリ

外題「竹とり」。3冊。
成立・作者ともに未詳だが、漢籍・仏書に通じた男性官人の手によって9世紀末頃に成立したとみられる。

『源氏物語』絵合巻では「物語の出で来はじめの親なる竹取の翁」と述べられる。本書は室町時代末期から江戸時代前期にかけて制作された奈良絵本であり、列帖装の縦型本で素朴な絵を持つ。紺紙に金泥で草花を描いた表紙に朱の題箋を貼り、見返しに銀箔を用いた豪華な装訂は、奈良絵本に多くみられる特徴である。

第3部 源氏物語を考え注釈する

 『源氏物語』は54帖と大部であることに加えて、和漢に及ぶ書物からの引用に満ち溢れています。教養ある貴族たちにはこうした複雑な物語の文章を読みこなすことができたのでしょうが、時代が降るにつれて物語を読むための手引書が必要とされるようになりました。当初は和漢の書物の出典を列挙するだけであったものから発展して、歴史的事件との関わりや登場人物のモデル論、さらには道徳的、宗教的な側面、紫式部の思想など、注釈が多方面にわたるにようになって、『源氏物語』は学問の対象ともなっていくのでした。

 中世には『水源抄』『河海抄』『花鳥余情』といった詳細な注釈書が書かれ、いわゆる「源氏学」の代表的な書物として後世に伝えられ、あらたな注釈書が派生していくようになります。第3部では、東北大学が所蔵する数多くの『源氏物語』注釈書の中から、代表的な書物を選りすぐって紹介します。

 なかでも『窺原抄』は本学のみが完本を有する貴重な書物です。本のサイズはその書物の格の大きさを表します。特大判となる『窺原抄』の大きさにご注目ください。また、『源氏物語註』は三条西公条の自筆稿本で、『細流抄』の原型とも目される貴重な文書です。書簡の紙背を利用して書かれた本書は、その書簡の部分も当時の公家の生活を知る貴重な史料として注目されています。

 そのほか、『源氏物語』の登場人物の関係を理解する一助として、系図も数多く作られました。

 江戸時代には、北村季吟の手によって、『枕草子』と『源氏物語』の注釈付きテキストが作られ、近代に入ってもよく用いられました。これらの書物から、『源氏物語』注釈書の歴史と「源氏学」の奥深さを感じ取ることができるでしょう。

ゲンチュウサイヒショウ

『源氏物語』の注釈書。1冊。
河内家の注釈書『水原抄』(散逸)の中の秘説を抄出した書。源親行(生没年未詳)の原著に子孫が代々加筆して成立。

親行は父・光行と共に河内本『源氏物語』を整定した。その際に得た考証を『水原抄』にまとめたが、本書はそこからさらに百余りの項目を抜粋している。語釈・有職故実・出典や典拠の考証・引歌・本文の吟味など、河内家の詳細で考証的な学風が示されている本として貴重である。

カカイショウ

『源氏物語』の注釈書。
四辻義成(1326-1402)著。貞治年間(1362〜1368)に成立。

本書は足利二代将軍義詮の命を受けて書かれ、著作の動機や時代の準拠、物語の名称、諸本、紫式部伝などを記している。『源氏物語』注釈史上画期的で重要な大著といえ、後世の注釈書にも大きな影響を与えた。なお、本書が依拠している『源氏物語』が、定家本系ではなく河内本系であるように、河内学派の説を継承している。

センゲンショウ

『源氏物語』の語彙辞典。
長慶天皇(1343〜1394)著。弘和元年(1381)成立。

『水原抄』(散逸)『紫明抄』『原中最秘抄』から、『源氏物語』中の語句に関わる注釈を抜き出し、これらを「いろは順」に並べる。『源氏物語』の注釈が枝葉末節に及んで長大となる傾向にあることから、これを簡便に一冊にまとめた点に特色がある。天皇自身による先行注への批判的なコメントが見られるなど、南朝方の『源氏物語』研究を知る資料としても貴重である。

花鳥余情 詳細

『源氏物語』の注釈書。
一条兼良(1402〜1481)著。文明4年(1472)以降、数度の改稿を重ねて成立した。

兼良は和歌・有職故実・仏事に通じた当時を代表する碩学で、その学問的な態度はこれまで重視されてきた出典考証よりも、文脈に沿った読みを優先しており、前代の注釈家とは一線を画す考証を示している点に兼良の大きな特色がある。このような兼良の注釈態度は『伊勢物語』にも及び、古典研究に画期をもたらした。

ゲンゴヒケツ

『源氏物語』の注釈書。
一条兼良(1402〜1481)著。文明4年(1472)成立か。

『花鳥余情』には「これにつきて秘訣あり、別にしるすべし」などと書かれている箇所があり、これら秘説をまとめたのが本書である。特に有職故実に関する難解な箇所の注釈を十五箇条にわたって記すなど注目される。ただ写本によっては十六箇条ある本もあり、また一箇条の出入りがあったりするなど、成立には数段階があったことが推測される。

ゲンジモノガタリショカントシダテ

源氏物語諸巻年立。

岷江入楚(みんごうにっそ) 詳細

『源氏物語』の注釈書。
中院通勝(1556-1610)著。慶長3年(1598)成立。

書名は漢詩を典拠に諸注の流れを集成する意を込める。三条西家の学説を中心に、『河海抄』『花鳥余情』『弄花抄』などの中世の代表的な注釈書を集成する。伯父・三条西実枝のもとでの源氏講釈を基に、通勝が作成したノートを「箋」あるいは「聞書」という形で取り込み、通勝自身の私見を「私曰」というかたちで書く。

ゲンジモノガタリチュウ

本書は龍谷大学蔵『源氏物語細流抄』の僚巻であり、三条西公条自筆の校本とされる。
全71枚(表紙含む)。

龍谷大本が、澪標巻から若菜下巻までであるのに対し、本書は柏木巻から竹河巻までとなっている。書簡や懐紙などの裏に記されており、紙背の書簡の文中には「源氏物語」「逍遥院」の名も見られる。『細流抄』より『明星抄』に近い内容であるなど、その内容には注目されるものがある。なお、本書は虫喰いなど損傷が大きいものであるが、近年、修補された。

参考文献:呉羽長「東北大学附属図書館所蔵『源氏物語註』について」(『日本文芸論稿』10、1980.6)
安藤徹編『三条西公条自筆稿本源氏物語細流抄』(思文閣出版、2005年)

ブンゲンショウ

『源氏物語』の注釈書。写本5冊。

全冊とも後の表紙が付くが、原表紙は打曇り紙に「𥹢源抄」(ぶんげんしょう)と打ち付け書きされている。本書は東北大学蔵本のみの孤本。全巻、漢字片仮名交じり文で書かれる。冒頭に物語の由来、作者等について『河海抄』序などを踏まえた総論があり、本文の語句を項目として注解を付す。『河海抄』『花鳥余情』『弄花抄』などの古注を多く引くほか、宗長・宗牧らの説を集めている点が注目される。巻末に「女房装束抄」を付す。

ヒカルゲンジケイズ

『源氏物語』の登場人物を系図で一覧にしたもの。1巻。

男系により皇室、摂関家、大臣家、端役の順で子孫を線で結んで示している。人物の横にはどの巻で官位が昇進したかを略記するなど事典的な側面もある。鎌倉時代以降の系図がいくつか現存しており、なかには巣守の女君など、『源氏物語』54帖に名前が見えない人物の名も複数見いだせるなど謎も多い。 
なお巻子装は一覧性はよいが扱いが面倒なので、次の『源氏物語系図』(狩4/11416/1)のように折本にしたものや、次々資料『光源氏物語系図』(丁B1-7/89)のように冊子本に仕立てた伝本も数多く存在する。『源氏物語系図』は書き入れが多く、研究のあとがうかがえる。題簽に「賀茂真淵真筆」とあるのは俄かに認めがたいが、興味深い本である。

ゲンジモノガタリケイズ

前資料『光源氏系図』解説参照。
折本。

書き入れが多く、研究のあとがうかがえる。題簽には「賀茂真淵真筆」とあり(真偽不明)。

光源氏物語系図 詳細

前資料『光源氏系図』解説参照。
冊子本仕立ての系図の例。

ゲンジサクレイヒケツ

『源氏物語』を典拠とする和歌を集成した歌書。2冊。
編者は有賀長伯 (1661-1737)、長因(1712-1778)父子。成立は安永6年(1777) 。

現存するのは東北大学附属図書館狩野文庫本と東海大学中央図書館桃園文庫本の二本のみ。狩野文庫本には独自の書き入れがある。和歌に用いる『源氏物語』の詞章をいろは順で挙げ、続けて『源氏物語』の本文や歌を典拠に用いる後世の和歌の作例860首を示す。中世から近世の人々の巻の好尚や、源氏物語和歌の享受の一端が窺える。

『源氏物語』および紫式部の評論。1冊。
「紫家七論」とも。元禄16年(1703)成立。安藤為章(1659-1716)著。寛延3年(1750)今村忠義筆写。

はじめに「紫家系譜」を示し、以下「才徳兼備」「七事共具」「修撰年序」「文章無双」「作者本意」「一部大事」「正伝説誤」の7項目を立てて旧説を批判する。『紫式部日記』を『源氏物語』の解釈に持ち込むなど注目すべき点が多い。なお、本書は為章の『栄花物語考』と合冊されている。

キゲンショウ

『源氏物語』の注釈書。62冊。
著者は牢屋奉行であった石出常軒(1615-1689)。延宝7年(1679)から貞享2年(1685)にかけて成立。

『源氏物語』全文を収めるとともに、『河海抄』以下、『源氏物語』古注釈書の説を集成する。常軒が新たな考察を付している点で、同時期の『湖月抄』よりも見るべきものがある。国立公文書館内閣文庫に須磨巻までの端本13冊が伝わるが、完本は東北大本のみである。

コゲツショウ

『源氏物語』の注付きテキスト。
北村季吟(1624-1705)校訂。延宝元年(1673)成立。

書名は石山寺に参籠中の紫式部が、琵琶湖に映る月影を見て物語の着想を得たという伝説に基づく。本文の行間に主語を傍書し、表現の典拠等について『河海抄』をはじめとする代表的な古注の説を取捨選択して、頭注として示したところが画期的である。注付きテキストとして、季吟『枕草子春曙抄』と並んで近代にいたるまで広く流布した。

シュンショショウ

『枕草子』の注釈書。12巻12冊。
著者は『源氏物語湖月抄』も著わした北村季吟(1625-1705)。

跋文から延宝2年(1674)の成立であることがわかるが、刊年は未詳。頭注と本文の2段で構成され、本文には傍注を施す。作者清少納言、『枕草子』の題号、異本、注釈の参考文献についての解説を冒頭に置く。『枕草子』注釈書の内、最も流布したものであり、その文学的理解は深い学識に裏付けられ、後世に至るまで『枕草子』注釈の定本的位置を占め続けてきた。

第4部 源氏物語〈みやび〉の継承

 『源氏物語』は成立当初から大きな反響を呼び、その評判は地方で暮らす受領階級にまで及んでいました。『更級日記』には、早く都に上京して『源氏物語』を読みたいと熱望する13歳当時の作者・菅原孝標娘の思いが綴られています。この孝標娘は成人して後、実際に物語作者となって筆を振るい、『浜松中納言物語』『夜の寝覚』といった物語を書いたと伝えられています。

 そのほか、同時代に書かれた『狭衣物語』は平安後期を代表する物語として愛読され、平安末期には『源氏物語』と並び称されるほど高く評価されました。『源氏物語』以降、王朝物語は陸続と書かれ、継子物語の代表作である『住吉物語』は様々な異本を派生し、男女が入れ替わる趣向をもつ『とりかへばや物語』など、多彩な物語が数多く作られました。これら女性によって担われてきた王朝物語という文化コンテンツが社会的に評価されるようになって、13世紀の中頃には、後嵯峨院の后である大宮院の命によって、『風葉和歌集』が撰ばれました。これは王朝物語の歌だけを素材として、勅撰和歌集の体裁で編集した前代未聞の歌集です。いわば女性文化を代表する王朝物語およびその作者たちを顕彰して企画された事業とも言え、ここに紫式部以来、匿名で書かれてきた「物語」という文化が公にその価値を認められるにいたったのです。

 第4部では、東北大学が所蔵する『源氏物語』以降の物語から、まさに王朝の〈みやび〉を継承する代表的な作品の数々をご覧に入れます。『風葉和歌集』はとくに恋部を展示します。そこにどのような物語の名前を見つけることができるでしょうか。さらには、大河ドラマ『光る君へ』のタネ本ともなっている『栄花物語』から、道長の栄花を決定づけることとなった中宮彰子の出産場面をご紹介します。

ハママツチュウナゴンモノガタリ

作り物語。4冊。
本書は書き入れや注記を含め、筑波大本の忠実な写しである。

作者は『更級日記』の菅原孝標女とする説が有力。康平元年(1058)頃から治承4年(1068)頃までの成立と推定される。亡父が唐の第3皇子に転生する夢を見て主人公が渡唐を決意する話のあったことが知られるが、すでに散逸。現存巻一はこれをうけて主人公が渡唐するところから始まる。『源氏物語』の影響を強く被りながらも、夢と転生の趣向には独自の創作意欲が窺える。

ヨワノネザメ

外題「夜乃禰覚一(~五)」。5冊。

主人公は天人の予言を受け、あやにくな運命に翻弄される1人の女性であり、紫の上や浮舟など『源氏物語』の女君たちが抱えた問題を主題的に引き受けた作品と捉えられる。写本は前田尊経閣文庫本の3冊本と、嶋原松平文庫本をはじめとする5冊本の系統の、およそ7本が知られるが、本書は松平文庫本の転写であろう。久田氏旧蔵本で、展示中の『浜松中納言物語』にも同じ方形朱印が捺されている。

サゴロモ

作り物語。2冊。
作者は天喜3年(1055)の「六条斎院禖子内親王家物語合」に作品を提出した女房、宣旨が有力視されるが、『河海抄』は紫式部の子の大弐三位弁局の作とする。

主人公の狭衣はしばしば光源氏を想起し、自身の感情を重ねていく。『源氏物語』への向き合い方が窺われる表現であるが、本書は巻一冒頭の「光源氏、身も投げつべし、とのたまひけんも、かくやなど」の一節を欠く。その特徴から版本・流布本の系統とみなされる。

スミヨシモノガタリ

作り物語。2巻2冊。
作者未詳。原作の成立は『源氏物語』以前の10世紀後半であるが、すでに散逸。現存本はいずれも鎌倉時代に改作されたものである。
継子譚の恋愛物語の代表作で、『枕草子』「物語は」の段や『源氏物語』蛍巻にも言及される。『狭衣物語』を始めとして平安時代後期以降に成立した作り物語にも『住吉物語』の影響は著しく、中でも室町時代に入ってからは絵巻や奈良絵本としても享受されて広く流布したため、異本の種類が多い。

トリカエバヤモノガタリ

作り物語。4冊。
作者未詳。原題は『今とりかへばや』で、現存本は平安後期物語『とりかへばや』の改作として12世紀後半に成立したもの。

異性装の趣向を持ち、男女きょうだいの性役割の交換を描く。男装の主人公をはじめ登場人物の造型には『源氏物語』宇治十帖の影響が色濃く、『源氏物語』からの場面の摂取や詞章の引用も様々にみられる。その叙述は『源氏物語』が古典としての地位を獲得していく時代の享受を知る指標としても注目される。

フウヨウワカシュウ

大宮院藤原姞子の命で、文永8年(1271)に撰進された物語歌撰集。4冊。

撰者は藤原為家と推定されるが、実質的には大宮院女房の総力を挙げての撰定事業であった。当時伝存した200余の物語から1500首程を選び、勅撰集に倣って20巻に分類していたようだが、末尾2巻は早くに散逸した。入集歌数は、『源氏物語』の作中歌180首が最多。本資料は第一第二冊と第三第四冊の2部がそれぞれ別筆であり、諸本と比較して特に恋の部に特徴的な配列が認められる。

エイガモノガタリ

40巻の歴史物語。16冊、うち『栄花物語抄』1冊を含む。
『栄花物語抄』には注釈の他、『詞花集』の引用が載る。三春秋田家旧蔵本であり、秋田実季(1576-1659)写とされる。

巻30までの正編の作者は赤染衛門が有力視されているが、確証はない。成立は正編が長元年間(1028-1037)、続編が寛治6年(1092)以降間もなくと考えられる。書名は藤原道長の栄華に由来し、摂関時代を賛美的に描く。敦成親王出産を語る巻八「はつはな」は、『紫式部日記』を典拠とする。

第5部 源氏物語と近世の二次創作

 『源氏物語』はいわば王朝文化の粋を集めた作品として、後世に大きな影響を与えつづけました。王朝物語や和歌ばかりでなく、絵画や芸能、建築といった分野まで、じつにその影響は様々です。

 とりわけ、江戸時代においては、『源氏物語』は出版されたこともあって、読者の裾野も広くなり、大衆文化に取り入れられるようになりました。『源氏物語』を典拠とする翻案や二次創作が盛んに行われるようになりました。柳亭種彦(17831842)『偐紫田舎源氏』(文政12年(1829)から出版)などはパロディの最たる作品と言えましょう。第5部では、すこし趣向を変えて、紫式部や清少納言の伝説を作品にした『紫日記』や『松島日記』を紹介します。いずれも歴史的事実からは遊離した創造の産物にほかなりませんが、『紫日記』では紫式部と清少納言が仲麗しい関係として描かれ、また『松島日記』では、皇后定子亡き後、主人の菩提を弔いつつ、終の住処をもとめて松島まで下っていく清少納言の姿を書いたもので、とくに絵入本であるところが注目されます。また『手枕』は、国学者・本居宣長が手がけた作品で、『源氏物語』には語られていない光源氏と六条御息所の馴れ初めを物語として書いたものです。

 いずれも王朝時代の女性作者、さらにはその作品にたいする憧憬を感じさせ、豊かな想像力を働かせた作品として興味深いものです。江戸時代に『源氏物語』は絵入本としても出版されました。そうした挿絵の数々は、様々な派生作品をも生み出していきました。

 『源氏絵物語』と『おさな源氏』の場面を見比べてみてください。一見、同一に見えながら、その微細な違いを発見して驚かれることでしょう。

ムラサキニッキ

紫式部による一人称の日記という体裁で書かれた偽書。1冊。
作者は未詳、奥書による書写年代から、遅くとも鎌倉時代末には成立していたか。

上・中・下の3巻構成で、それぞれの巻は内容的に密接な関わりがある。中世一般に流布した『源氏物語』成立伝説をいくつも組み合わせて記述する。『源氏物語』の古注釈の一つである『紹巴抄』では本作品を引用していることが確認できる。現存する写本は4本だが、本資料には他の3本にはない奥書がある。

マツシマニッキ

老尼となった清少納言が、都から陸奥国の松島に下ったときの旅日記。1冊。
鎌倉時代以降、一説には室町時代初期の成立と推定される。

近世には清少納言が晩年にものした紀行文として重視されたが、本居宣長が偽書と評して以来、現在では偽書と認めるのが妥当とされている。ただ、必ずしもすべてが勝手な創作ではなく、随所に清少納言の事跡に適う箇所を見出す。多くの伝本が知られるが、東北大本を含む絵入りの諸本は古態を留めているとされる。

タマクラ

『源氏物語』本編にない、光源氏と六条御息所の出会いの経緯を描いた偽書。1冊。
作者は本居宣長(1730-1801)。宝暦13年頃(1763)までには成立していたと推定される。

前東宮の死後、娘一人を抱えて思い悩む御息所を案じた帝の申しつけで彼女の許に光源氏が来訪するという内容。『源氏物語』の展開を周到に踏まえるとともに、叙述の文体も『源氏物語』本文の特色を巧妙に取りこむ。『源氏物語』に対する宣長の学識に裏打ちされた佳品として評価が高い。

ゲンジエモノガタリ

1冊。歌川豊国画。
本書の他にも伝本があり、弘化初年(1844)の作品とされる。

源氏物語の錦絵54枚からなる画帖であり、一面は、それぞれの巻を代表する場面の絵・物語中の和歌・源氏香の図で構成される。巻々の絵は『十帖源氏』や『おさな源氏』などの挿絵を参照して描かれている。今回展示している若紫の場面は、『おさな源氏』若紫巻の挿絵の構図に極めて似ており、これを踏まえたものと考えられる。

おさな源氏 詳細

源氏物語の梗概書。10巻10冊。
著者は野々口立圃。刊年未詳。初版は寛文元辛丑(1661)。

自著『十帖源氏』を童幼のために書き直したもの。巻ごとにある挿絵は全120図。作中人物の系図、六条院図も示し、光源氏または薫の年齢も記す。寛文10年(1670)版には版元を違える3種があり、天明8年(1788)には「源氏物語大概抄」と改題した復刻版が出た。本書は、江戸版として挿絵を師宣風に替えた寛文12年(1672)の松会版であり、しばしば重版された。

月百姿 詳細

月をテーマとした100点の大判の錦絵。作者は月岡芳年(1839-1892)。
明治18(1885)年から明治25(1892)年にかけて発表された。

武者絵や名所絵、美人画など多岐にわたる内容で、人物や物語、伝説、風景などの様々な画題を取り上げている。本展示で紹介するのは76作目の「石山月」で、紫式部が石山寺で『源氏物語』を執筆したという伝説に基づいて描かれたものである。なお、24作目は『源氏物語』夕顔巻をモチーフにしており、月下に立つ夕顔の女君を描く。

展示目録
展示目録

2024年10月28日~11月8日の企画展会場で、実際に展示していた資料の目録です(PDF)。

展示目録〈日本語〉

Exhibition Catalog〈English〉